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トラックバックテーマ 第1376回「はじめて【おつかい】した時の事、覚えてる?」

トラックバックテーマ 第1376回「はじめて【おつかい】した時の事、覚えてる?」



まったく、覚えていません。
そもそもおつかいしたことあるのかさえ疑問です。

でも、一人でふらふら出歩くのはワタシのサガだったようで、よくどこかに出かけては、オトナの人に送り返されるということを繰り返していたみたいです。
ある意味、勝手な自主的「はじめてのおつかい」みたいな感じですね。

田舎のおじいちゃんちに行っては、塩田まで出張です。
当時の瀬戸内海にはまだたくさん塩田があったので、何が面白かったのか、ふらふらふらふら歩いて行っていたみたいです。
距離にして、おそらくは3~4kmもあったんじゃないでしょうか?
小学校に上がる前の子供にしては異常な健脚ぶりです(;^ω^)

塩田の脇の畦を歩き、塩炊き小屋に入っては、塩が炊き上がるのをじっと見つめていたそうです。

変なガキ・・・オトナはきっとそう思ったことでしょうね。
ワタシ自身、そう思いますもん。

家にいる時も、結構ふらふら出歩いてたようで・・・

近所のちっちゃいショッピングモールみたいなところに出かけては、エスカレーターで遊んでいたり。
神戸が坂の多いところだっていうのはみなさんご存知かもしれませんが、その本当に小さなファッションモールも、坂の傾斜の上に建てられていて、ずーっとビルが続いているんですが、細長いそのモールの中にはいくつもエスカレーターがあって、そこで、ワタシたちは日がな一日、エスカレーターを逆走して遊んでいたんですよねぇ・・・

そこから、東に向かうと、ちょうど福原の歓楽街で、オトナはそれなりにやばかったりやばくなかったりするところだっていうのは知っていたと思いますが、小さい子供のこと、そんなことはわかりません。

それからずっと行くと、湊川神社。通称楠公さんと呼ばれる、楠木正成公を祭った神社です。
一説によると、江戸時代、大日本史を編纂するため取材に訪れた方が、正成公の栄誉を讃えて建てられた神社だとか。

大日本史は、あの黄門様が始めた事業で、この時取材に訪れたのが、かの佐々助三郎だったと言われています。つまりは、助さんですね。

ま、それからさらに東に行くと、神戸駅。さらに元町通を東に向かうと、元町一丁目、神戸大丸前です。

幼いワタシ、おつかいを頼まれたわけでもないのに、どうも一人でその大丸に向かっちゃったようなのです。
なにせ何十年も前の話だし、ほんの小さな子供だったので細かいシチュエーションはまったく覚えてないんですが、どうやらたどり着き、帰りは近所に住んで大丸に勤めていたオネエさんに送り返されてきたみたいです。

え~~と、距離にして5kmくらいあるにもかかわらずですよ。
子供の小さい歩幅でどこまで行くんだか・・・

どうも、家に母がいなくてどこに行ったんだろうと思って、前に連れていってもらった大丸に行ったらいるかもしれないって思って、行っちゃったみたいなんです。
たぶん、わんわん泣きながら・・・

何かにとらわれると周りが見えなくなる、これって幼い頃からのワタシの気質だったみたいですね。

三つ子の魂百までとは、よく言ったもんです(-_-;)
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ハマナスの花

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↑これはもちろん、ハマナスじゃないです(;^ω^)


今、山口は日曜日がアニメ・特撮が熱い・・・らしい。

なんだか、夜中に「けいおん!」やってるし・・・ちなみに、うちのiPhoneカバーは「けいおん!」ですが、何か?( ̄ー ̄)

で、未明じゃなくて、明けてからだと、バトスピとかべるぜバブだとか、ゴーカイな戦隊とか、宇宙服着たバイク乗りとか、桃色黄色紫のかしまし娘とかやってる、ちなみにええ年こいて毎週見ているわけだが(;^ω^)

で、夕方から、またしても、カンタム・・・じゃなかった、GUNDAMが始まっちゃった。

GUNDAM AGEらしい。
英二って名前の人が出てくるのかと思ったら、違った・・・当たり前か。

とは言え、これを書いてる時点で、まだ全然見てない。
このあと、睡眠学習でこれを見るつもりだ・・・って、見てないっての。
多分、聞くだけ(。´∀`)

なんだか、キャラが五頭身くらいで幼い感じがする、くらいの感想しかないな。
なんでも、キャラクター原案の人が、イナズマイレブンとかレイトン教授のデザイナーの人らしいから、まあ、そんなもんだよね。
あんまり女子が、「キャー」って言うようなもんでもないみたい。

GUNDAMシリーズはみんな同列には見てはいけない、と思っているので、多分先入観なく見るってことになるのだが、主題歌はちょっと先入観なしでは語れないかもしれない。

主題歌「明日へ」を歌うのはGalileo Galileiというグループ。
ワタシには何の縁もゆかりもない、と思ったら、彼らはデビュー当時、稚内の高校生だったというではないか?
(∩´∀`)∩オォ♪、まかり間違ったら教え子だったかもしれないのだ。

他の曲を聞くと、歌詞の内容が稚内の風景を彷彿とさせるものがあって、ワタシにとってはなんだか懐かしい。
稚内はワタシにとって思い入れの深い場所なのだ。
また住みたい、とは思わないが、できたら何度も行ってみたい場所ではある。
楽しい思い出も、美しい思い出も、悲しい思い出も、そうして、生まれ変わった場所でもあった。

毎年、利尻の肩に夕陽が沈む時期には、毎日のように写真を撮りに行った。
冬には抜海港に毎日のようにアザラシを見に行った。
つれづれなる、休日の昼下がり、宗谷岬に行ってはぼーっと海を眺めていた。

ステーキ食べ放題、しゃぶしゃぶ食べ放題。
行った翌日、足が痛くなったっけ?
痛風だったけど・・・今はもう痛くなることはない。

風の強い稚内には、高い木は殆どなくて、あるのは低い潅木ばかり。
潅木の中でも、特にたくさんあったのが、この花。

しれぇ~とこぉ~のみさきにぃ~はまなすぅ~のさ~くころ~♪ってな歌があるわけだけど、稚内のハマナスは、これの比ではない。
海岸線はハマナスの木で埋め尽くされている。

知っている人は知っているだろうけど、ハマナスがいくらきれいだからと言って、その花の中に顔を埋めようなんて考えてはいけない。
だって、ハマナスって薔薇だもの。
真っ赤じゃないけど、薔薇だもの。
綺麗なバラには棘がある・・・そのとおり、ハマナスの木にも棘がある。

英語ではローズヒップというらしい。
てっきり、ローズヒップという改良された薔薇の品種があって、そういうものだと思っていたのだけれど、違うらしい。バラの原種のことを言うのだそうだ。
厳密にはハマナスとローズヒップは違う、ということだけど、ごく近隣の種類であるのは確かで、ハマナスの実は食べて美味しくないにせよ、ジャムを作ったり、お茶を作ったりすると本当に良い香りがする。

今宵は、「ハマナスの花」を聞きながら寝るとしよう。
【CM】au「LISMO!」ハマナスの花... 投稿者 galileogalileijp

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トラックバックテーマ 第1284回「秋の味覚といわれて思いつくのは何?」

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トラックバックテーマ 第1284回「秋の味覚といわれて思いつくのは何?」



秋の味覚って思い出すのは、「自然薯」と「むかご」。

昔父に連れられて、山に掘りに行きました。
まだ父が体が動くときで、その頃から右足は引きずり気味でしたが、まだ杖なしで普通に歩ける頃でした。

父はワタシが生まれて間もない頃に、自転車で走行中に後ろから車に追突されて、後遺症が残りました。
当時のことですから、なあなあで済ましちゃったみたいで、あの時ちゃんとしていれば・・・と悔やまれることしきり。
もうね、当てられた方としては、いくらでも大げさに騒いでもいいんです。
痛くなくても、ムチ打ちで痛い、ってずっと言い張っていればいいと思いますけどね。

まあ、それを悪用する卑劣な犯罪者=当たり屋もいるわけですけど。

そのころ父は四十代でしたが、歩くことにはやはり不安があったみたいで、山に行くときは必ずワタシを連れて行きました。
ワタシのアウトドアは父に仕込まれたみたいなもんです。
今風のアウトドアではなかったけれど、花の名前とか、木の名前とか、木の見分け方とか、教えてくれたのは父でした。
ワタシにはもともとアウトドア耐性があったみたいで、虫とか怖がらないし、気持ち悪いもの安全なもの、危険なもの、よく観察はするけれど、むやみに触ったりしない・・・というところも良かったみたいです。

自然薯とは、自然に生えている栽培種ではない「山芋」のこと。
山の柔らかい土の中に生えてくれるのならいいんでしょうけど、なにぶん裏六甲の花崗岩地帯なので、土もちょっと掘れば花崗岩が出てくるありさまで、硬くてもろくて風化しやすい花崗岩は土の中でいくつにも分かれ、自然薯はその隙間をめがけて、どんどん根を伸ばしていきます。

土の中で、複雑怪奇に曲がりくねったり広がったり、形としては美しいものじゃありませんけど、厳しい環境で育っているせいか、栽培されたものと違って、もう粘り気が強くて・・・

子供の頃は、土臭いような気がして、ワタシは苦手でしたけど。

そうやって、自然薯は土の中で芋を広げたり、曲がったり、くねったりしているので、折らないように、切らないように掘ろうと思うと、まずは山芋のつるの周囲を慎重に掘って、芋が顔を出したら、その半径50センチくらいをもう目一杯掘っていくんです。
ところどころ、岩が埋まっていたり、掘り出せないような大きな岩があったりしますから、それを避けて掘り出そうとすると、人間が一人埋まるような大きな穴を掘らないといけません。

そりゃもう、大きな自然薯なら穴を掘るだけで2~3時間はかかろうかという大きな穴で。
子供連れでなければ、死体でも埋めに来たのかと思われても仕方ないような穴で。

自然薯を掘ったあとは、父は埋め返していました。
体がすっぽり入る穴ですから、埋めておかないと危険なのですが、結構放置されたままの穴って多くて、何度か落ちそうになったことがあります。

自然薯掘りは力仕事ですから、その間ワタシが何をしていたかというと、自然を観察したり、自然薯掘りを観察したり・・・それと、たいていは「むかご」採りに夢中になってました。
山芋も花を咲かせますが、小さい花でしかもできる種も小さいので、発芽する可能性は低くて、たいていはむかごで増えるんです。

むかごは葉の付け根に、小さな豆と言うか、芋みたいなものがつくんです。
ここに栄養を蓄えて、地面に落ちたら球根のように根を出し、芽を出すんです。

栄養の宝庫ですから、これ、美味しい。
フライパンに少量の油を敷いて塩少々で炒ってやると、今で言うとフライドポテトのような味がします。

ワタシはこれが好きで、もう袋いっぱいとっていました。
父には少し残しておけよ・・・と言われてましたが。
種みたいなものだから、そこから芽が出るんだから・・・と。

持って帰ったら、母に炒ってもらってました。
自分でちょっとやってみたこともあります。
きっと、その頃がアウトドア料理の原点かな?

山芋掘りはしないけど、むかごはまた採りに行こうかな?
このへんは、雑木林やら、みかん畑やら、そんなのばかりだから山芋も結構たくさんあるんですよね。
ただし、持ち山だから掘ったりするには許可がいるし・・・

でもむかごを採るくらいなら大丈夫だと思うんですよね。

むかごをバター焼きにして、地ビールを一杯・・・これ美味しいだろうな。

そのうちやってみます。
秋は、これから、ですからね。

さてと・・・これはなんでしょう?
むかご・・・じゃあありませんよ。
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解読

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解読・・・ってやったことあります?

ヒエログリフなんかを、読み解いていく作業。
気の遠くなるような作業です。

モチロン、ワタシはそういう古代文字の解読はしたことがありません。
ただし、大学の講義で、史記(司馬遷の、です)の読みあわせとか、民俗学の原書講読(全部英語で書かれてあります)、赤本の講読なんかをしたときは、これはもう、解読に近い。

漢文の読みあわせ・・・中国の古書籍は、ただ等間隔に漢字が並んでいるだけなので、英語のピリオド・クエスチョンマークに該当する言葉をまず見つけないと、どこまでで文章が切れているのかさっぱりわかりません。
英語の接続詞に当たる漢字、例えば、Butに当たる漢字、Andに当たる漢字などを見つけて行かないと、もうさっぱり何がなんだかです。
さらにそれを日本語になるように変換しないといけないので、そりゃもう大変で。

これはかなり苦手でした。

民俗学の原書は、適当なテキストが日本にはなくて、それでイギリスで書かれたものを、となったようです。
英語はまあ、なんとかなるんですが、時々専門的な言葉が出てきて、そうなると通り一遍の知識ではわかるはずもありません。

ゼミなので、ゼミ生で各々分担して、担当のところを訳してくればいいだけですが、付きあわせてみると結局ちんぷんかんぷんだったりするわけで・・・(;^ω^)
それを、擦り合わせて意味を感じられるものにするのに大変苦労したことを覚えています。

赤本は、江戸時代の大衆本。
多くはひらがなで書かれているんですが、厄介なことにひらがなって現在の五十音ではなくて、もっともっとたくさんあったんです。
中には、引っかき傷や、点にしか見えないものもあって、とにかく慣れないと読めない。
その辺が研究の専門の学生はある程度読めるんですが、ワタシの専門は、万葉仮名の分野で・・・アッチならなんとなく読めるのに、ひらがなが読めない。

万葉仮名は「夜露死苦」と同じようなものです。
意味はあまり関係なく、とにかく漢字の音だけを借りて、日本語の読みを再現しているわけです。
それに対して赤本の字は、多少は芸術的センスというか、絵画的なセンスというかそういうのがないと読み解けない。
この引っかき傷と、点の違いは何か? って直感でわからないとダメみたいなんですよね。
画才の全くないワタシには、モチロンわかろうはずがありませんね( *´艸`)

しばらく先生の仕事をしていたんですが、最後の仕事は高校受験の入試管理の仕事。
ここで、入試の内情とかを話すと守秘義務違反ってことになるらしいので、それは言いません。
今はどうかわかりませんが、教師の半分くらいはPCがワープロ代わりにしか使えず、これを使って成績処理するなんて思いも寄らない時代で、表計算ソフトなんかも使えないんですね。
だから、教務部で成績処理の時は教務部で一括管理して、教師個人は一個一個の点数をただ打つだけでいい、という成績処理ソフトというか、成績処理のためのマクロを専門の先生が作っていたわけです。
エクセルとワードを一括連携して、点数を入れるだけで成績会議資料まで出来てくるというスグレモノ。
もちろん、一括処理の方はワタシ以下数人の先生でやっていたわけですけど。

入試の時期になって、今度はその入試用の一括処理システムの管理を任されたわけです。
だって、ワタシの授業はほとんど三年生の授業でしたから。三学期になるとほとんど授業なんかないわけです。
まあ、変なやつを表に出すまい、って意図も多少あったようですが。

一般の成績処理でも、標準の分布と絶対的な評価のバランスを取るわけですが、やはり入試でも同じです。同じような処理をするはずなのですが、それは普段の成績処理システムとはちょっと違っていて・・・

結果的に、書かれたマクロを全部解析して手直ししろ、ってことになりました。
ちなみに、ワタシの専門は国語で、古文で、それも上代文学で・・・PCなんぞ全く畑違いもいいところ。それでもある程度使えたのはこだわる性格ゆえでしょう。
あくまで専門教育を受けたわけでもなく、だれかさまにご教授頂いたわけでもなく、なので、マクロの解析は直感でわかるようなもんでもなくて、そりゃもう、地道な「解読」でした、まさに。

日によっては、朝職員室で打ち合わせが終わると、PCの設置してある部屋で昼間で籠り、昼食を終えると、夜暗くなるまで籠り・・・もうほとんど誰にも会わないし、誰とも会話をしない生活でした。
夢にまでPCと訳のわからないマクロが出てくる始末。

一月半ほどだったのが幸いで、その時はGID(性同一性障害)のことを発端とする欝からは解放されていましたから、ノイローゼになるまでは行きませんでした。

でも、思えばひどい仕打ちだったかもしれません。
前の担当者も、それで欝になって休職・・・最終的には退職してしまったみたいなので、やっぱりひどい対応だったんでしょう。

ワタシはその先生の代わりに呼ばれたらしいのです。
前の学校でも水面下でワタシのGIDのことは流布していたようですから、使い捨ての厄介払い、って意味合いもあったのかもしれません。

なんにしても、才能を見せるのは避けたほうがいいかもしれません。
便利屋で使われるのがオチ・・・ってことになるかも。
「能ある鷹は爪を隠せ!!」だとワタシは今となっては思います。

まあ、大した能じゃないですけどね(´-∀-`;)DSC07422.jpg

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トラックバックテーマ 第1202回「最近走った?」

鵜飼舟・古

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モチロン・・・車が(^_^;)

走るのは子供の頃から苦手で・・・体育の授業はなんだかんだと口実をつけて休みたかったです。
基本的に合理主義というのか・・・こんなことをして何の役に立つんだ? って思ったら、モチベーションが下がりまくり。
しんどいのもあるけれど、走って何の役に立つか? って考えたらもう走る気なくって。
たぶん、走るのが好きな人にとってはぜんぜん違うのでしょうけど、ワタシはダメでしたね。

高校の時、陸上の測定をやっている時期に足を怪我してしまい、走れないわ、飛べないわ・・・で。
半分、見学状態。
無理して走ればもちろん走れるんですが、なんとなく痛くてダメで・・・今考えると逃げていたんでしょうけど。
だって、山だったら足を捻挫しようが、豆が潰れようが行きますもん。
だいたい途中でそういうトラブルは起きるので、行かなきゃ、遭難。悪くすりゃ、死ぬぞ・・・ってことになるので。

その時の成績は10段階の2。
ってもなぁ・・・足のトラブルはそれもまた体育のせい。
高校の時は、一応ダンシだったので、柔道の授業があって、模擬試合で横四方固めを決めて、押さえ込んだはいいものの、ズルズル引きずられて、結果、足の親指の爪を剥がしてしまって・・・

しばらく、上履きのスリッパで登校してました。
親指は包帯でぐるぐる巻き。
体重はかけられないし、ふみ切り足だから、違う方の足でふみ切ろうとしてもタイミングあわなくて、幅跳びは散々。

でも、でもさぁ・・・

「2」はないんじゃない?

成績悪いと内申に響く・・・本気で思ってました。
とりあえずは大学に入る、つもりでしたから。
なるべく楽して大学に入って、楽して就職(実際就職は楽ではなかったけど)。

成績をそこそこ取るために高校のレベルも落としたんですもん(受かるのわかってたから、合格発表も自分では見に行く気がまるでなかったり)。
通学が面倒だったのもあるし・・・
だって、親が・・・うちは貧乏だから○○○○・・・って繰り返すんですもん。
定期の金額が負担に○○○○・・・

ってな、そんなんで、電車乗って通学できるかっての(#・∀・)

おかげで、小学校時代に転校してきてから、3・3・3・・・合計9年、同じ道を通学するはめになりましたよ。
小学校のだいぶ延長線上に、中学があって、その中学のすぐとなりが高校で。
走るの大嫌いだったけど、遅刻しそうなときは、階段階段長いスロープの最後の心臓破りの坂を走りましたよ。
車でもたぶん、力ない車ならマニュアルのセカンドでないと上がらないくらいの傾斜。

とにかく・・・

ワタシなら「2」はつけないですよ。
悪くても「3」
せいぜい「4」

「4」だったら、五段階で「3」ですからね、まあ普通です。
不可抗力だしぃ・・・授業中の事故だしぃ

今となっては笑い話です。
いつかきた道

健康のために走る、というのは合理的でいいですね。
何のために・・・っていう理由付けがちゃんとなされているから。
でも、写真のようなところを走って登ったら、死んじゃいそうです、今だと。
走るための体力・・・残ってないかもしれない。

ワタシは走るのが嫌いです。
人生は走らないと倒れるので(実際はなんども倒れてますが)、走り続けているつもりですが、実際に走るのは嫌いだし、ちっとも楽しくないし、膝が悪いしで、ダメ。
でも、健康のためにと言われたら、走るのは無理でも、なんか運動はしたい。

山登りは疲れてない時ならいいけれど、週末に山で疲れたまま仕事に行ってまた疲れて・・・というのも嫌なので、山歩き程度に。
というか、歩く・・・って言うのがポイントですね。
運動してるぞ~~って気張るのが嫌だから、カメラ片手にブーラブラ。

その辺で、いいかしら?

ってことで、ぶらぶら撮ってきた写真でも見ながら、もう少しお付き合い下さい。

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第1201回「夜行列車に乗った事ある?」

龍
FC2 トラックバックテーマ:「夜行列車に乗った事ある?」



はい、モチロン。

大阪から、富山に向かう夜行列車とか・・・稚内から札幌に向かう急行「宗谷」(今は特急らしい)とか。

大垣夜行は乗ったことないですけどね。
ワタシが青春18きっぷとか使って普通列車で旅をするのは、移動が目的ではなくて、普通列車に乗ることが目的の一つなので、寝ちゃったら面白くない。
だから、普通の夜行は乗りません。

大阪から富山・・・っていうのはいわゆる登山電車。
山登りをするために乗るんです。
でも、その時のルートは東海道線経由で高山へ。
高山からバスで新穂高温泉へ・・・でしたから。

夜行には帰りに乗ったんです。
というか、乗るしかなかった・・・

実は、山で怪我をして、撤退してきたんです。
春の五龍岳でした。

あとちょっとで稜線に出て・・・ってところだったんですけど、雪を踏み抜き、沢床へ落ち、足を捻挫してその日はテントを張ったけど、行けそうになくて撤退。
実際、降りるときに足が自由にならなくて、滑落・・・ってこともあったので、登っていたら遭難・死亡だったかもしれません。

結局高山まで戻ってきたら、中央線~東海道線経由では帰れず、一旦富山に出て、富山から夜行で帰ることに。
GWの真ん中で撤退だったので、列車は案外すいていて、ボックスの自由席を二人で占領。
くの字になってなんとか寝れました。
足が痛くて熟睡は出来なかったですけど。

大阪から神戸へはまだ阪神の始発しかなくて、またそれがすごい各駅停車で・・・
阪神の駅って、それこそ御影までの間って、駅間が1kmとか普通で・・・思わず、これ、路面電車ちゃうのん?
って、言いたくなりました。

御影まで長かったな・・・御影からはあとから来た特急に乗り換えましたよ。
新開地まで、まだまだ・・・でしたから。
なんだか、さみしい登山帰りでした。
びっこを引き引き帰ったことを思い出します。

あ・・・そうだ、カシオペアにも乗りましたね。
よく覚えていないんだけど、たしか乗ったはず。
あれは、北海道に初めて行く時で、コレでダメなら、学校の先生は諦めよう、って思っていた時でした。
そうです、採用試験の面接を受けに行ったんです。

っても、実際、登山旅行でしたけどね。
採用試験はもちろん受けましたけど、で、なぜか受かりましたけど、試験を受ける前に、羊蹄山に登り、受けたあとに大雪~十勝の縦走をやって、その後は道東に移動して、雌阿寒岳を登り・・・

足もないのにあちこち行ったもんです。
なんだか、あの頃は情熱だけはあったなぁ・・・

足下なんて、革靴に見せかけた登山靴ですよ・・・いやまあ、革は革なんですけど(;^ω^)
面接に行くのに、ワイシャツ、ネクタイ、スラックス・・・で、登山靴( ̄m ̄*)

ホントにもう、何しに行ってるのかわかりません。

そんなワタシでしたけど、北海道から出るときは、スカートにサンダル・・・だったり・・・

なんじゃコリャ・・・^_^;
見た目の性、すっかり変わっていましたね。
本州に向かうフェリーの中でおそるおそる・・・こんななんで、女湯に入ってもいいですか? って聞いたら、意外にも快諾・・・
ほんとにいいんだろうか?

って思っていたら、結局女性のお客さんはほとんどおらず、乗組員の方もそんなにいるわけでもなく、なんの問題もなかったみたいです。
問題・・・男湯でなんかある方が問題だったのかも・・・(^_^;)

夜行列車、今度乗る機会があるとすれば、おしゃれな旅行を楽しみたいですね。
手段としての夜行列車は、もういいです。2.jpg

続きは・・・羽根、です。

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震災

ワタシ、神戸出身です。

阪神の時は、北海道にいました。
北海道の学校は、ちょうど冬休み中。
進学校ではないので、冬休み中は何もなく、年末に個人的につらいことがあったワタシは、午前中、惰眠をむさぼっていました・・・

早く起きて、何かしよう・・・って覇気が全くなかったのです。

昼前になって・・・突然電話。
思いもしない人から・・・覇気のない原因の人から・・・

「テレビ、見てる?」
「見てないけど・・・寝てた」
「じゃあ、早くテレビつけて、見てみな」
「なんだよ・・・(今さら電話なんかかけてきて・・・)」

テレビをつけたら、当然、ワタシは顔面蒼白になりました。
え?
これ・・・なんの中継?
映画・・・??

もちろん、映画でもなんでもありません。
電話を切って、実家の方に電話をかけます。
つながりません・・・つながりません・・・つながりません・・・

何度かけても、つながりません。

ふと、年末に行った出張の内容を思い出しました。NTTに視察に行ったのですが・・・その時、緊急の電話について教えてもらいました。
緊急電話は、まず、官公庁のホットライン、次に公衆電話、その次に家庭の電話、となっている・・・

じゃあ、公衆電話からかけてみよう・・・でも、公衆電話がどこにあるか、すぐには思いつかなくて・・・

街の中心まで車で走りました。
あそこなら、あるはず・・・よく考えたら、近くの観光地のところにもあったんですけど・・・
結局つながって、無事は確認できました。
しかも、ライフラインも生きていて、テレビも見れるとのこと、まるで別世界の出来事がすぐ隣で起きている、状況だったようです、母の声は涙声でした。
聞くと、弟たちも無事なようで、実家に帰っている、とのことでした。
上の弟は、住んでいるところは無事だったのですが、ライフラインが全く死んでいて、20㎞くらいの道を歩いて帰ったそうです。
下の弟は、ちょうど、実家の方に帰ってきていた時だったとのこと。

その冬は、経験者研修があったんですが、研修をパスさせてもらって、1週間、実家に帰りました。
車で・・・

車で帰ったのは、支援物資を持って行くためです。
食べるものは、期限があるので、集められるだけのポータブルストーブ、北海道はポータブルをあまり使わないので集めるの大変でした。物置などからわざわざ出してもらって、集めて・・・それと、大量の毛布。大量のタオル。

昔お世話になった、長田の病院に持って行きました。
見慣れた道を走る間、あまりの悲惨な状況に、絶句してしまいました。
長田は、火事の被害が一番ひどかったところ、がれきの山・・・焼け野原・・・

もう、あんな光景は見たくないな・・・と、思っていたのに・・・

景色は違うものの、また、同じような光景を目にすることになってしまいました・・・

どうか、皆さん、無事で生還されますように・・・

せめて・・・早くこの騒ぎが終息しますように・・・


tetsujin.jpg←神戸復興の後に建てられた鉄人です

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部活の話 その二

さて、大学時代は、そういう感じだった部活ですが、正式に就職してからは、部活動の顧問をすることになりました。

歴任した学校は三校でしたけど、それぞれ部活は違いました。

最初の工業高校は、山岳部
二校目は、写真部
三校目は、卓球部でした。

最後の学校は性同一性障害の件でもめたこともあって、生徒にも悪いウワサが立っていたみたいで、生徒からも偏見の目で見られていたみたいです。
大会の引率も人数が多かったので大変でしたし、結局地区大会、全道大会に残ったのが女子生徒1人だったこともあって、その生徒からは白い目で見られてました。
っても、その生徒になんかしたわけじゃないんですけどねぇ・・・
たぶん、1年生だったから、子供だったのかなぁ・・・3年生はおもしろがったり、表面上なんもなかったように振る舞っていましたし。

卓球は、ホント、右も左もわからなくて、指導と言っても何をすればいいかわからないし、大変でしたよ。
生徒は、小学・中学時代も卓球をやってきた生徒で、こっちよりずっとたくさんいろんなことを知っているし、練習だって自主的にやるし、ワタシなんかいらないじゃない?
って思っていました。
でも、出てきてくれ、って言うから、練習には出ていましたけど・・・いまだにわかりません、なんで毎日毎日部活に顔を出さないといけなかったのか・・・

楽しかったのは、前二校の山岳部と写真部。
今回は、山岳部についてお話ししますね。

山岳部は社会人になってからずっと登山をやってきたワタシですから、教えることがいっぱいあります。
雪のない山だけじゃなくて、一年中、本格的な冬山から、雪の多い春山、岩壁登攀、沢登り・・・それこそなんでもやりましたから。
今のようにフリークライミングが競技として実施されていなかったので、登攀については教えることは出来ませんでしたけど、一緒に登って、一緒に合宿して、大会にも出て・・・全道大会に連れて行ったときは、ワタシもうれしかったですね。
トップクラスとはすごくレベルが違うな、と思いましたけど。

その年は冬の降雪が多かった年で、芦別岳も南富良野岳も6月というのに、たっぷりの雪。Ashibetsu.jpg←芦別岳

本来なら歩いて登れる所が、雪の壁になっていて、冬山装備がないと登れないとか・・・大変なことになっていました。
生徒を冬山に連れて行くのは、簡単なことではないので、当然生徒たちは冬山装備など持っていなくて、なので地元の山岳会と協力して、危険なところにはロープを張るなど対策をとってから大会は行われました。

それでも、うちの学校からもけが人が出たり(なんでもないところで滑って転んだだけです、本人の不注意です)、他の学校では転倒して骨折したりして、顧問の先生方が協力して担いで降ろすとか・・・自分で登ってる分にはあまり思わないんですけど、山ってやっぱり危ないんです。

山岳競技はタイムももちろん競うんですけど、チェックポイントでペーパーテストがあったり、ラジオを聞いて天気図2008.5.12 18時地上天気図を書くテストがあったり、その他にも作った夕食を項目ごとにチェックして点数化したり・・・なんか運動部じゃないみたいでしょ?
ちょっと、自動車のラリー競技と似てたりしますね。

その頃のワタシは、まだまだ山一色でした。
大会前に生徒を引率して下見したり、引率するに遠ければ自分で休みに下見に行ったり、そのすべてが楽しかったです。

年に一回くらいは遠出をするんです、合宿と称して。
普通のスポーツと違って山は麓まで公共交通機関を使って移動することは困難。
便があっても、1日2本とか、一往復しかないとか・・・そうなると山に入るバスに乗るために街で一泊・・・なんてことになるわけですよ。
これでは本末転倒なので、車で移動することになります。

当事、ワタシの車はトヨタのRAV4800px-96-97_Toyota_RAV4_2door.jpg、もう1人の顧問の先生は三菱のDELICA800px-Mitsubishi_Delica_Star_Wagon_311.jpg、ワンボックスなのでたぶん7人乗りだったと思うんですが・・・
ワタシの車は4人乗りです、でもなぜか、生徒はじゃんけんしてワタシの車に3人、DELICAには3人と分かれました。
定員から言えば、荷物も大きいわけですから、向こうに4人以上乗ればいいのに、ってことですよね?

それが、荷物だけDELICAに載せて、人間は3人。

走り出しは特別何もなかったんですけど・・・高速道路に乗っかってから、理由が何となくわかりました。
ワタシの車は小型四駆とは言え、もともと普通乗用車ですし、2000CCですから、そんなにスピードが出ないわけではありません。
ただ、生徒を乗せていますし、あまり無謀な運転は出来ないと考えて、100㎞前後で走っていたんです。

けど、でも、しかし・・・DELICAはワタシの車をどんどん引き離していきます。
一応落ち合い先は決めてあるものの、ワタシも引き離されまいと思って、加速を続けます。
100・・・110・・・120・・・130・・・加速は止まりません。
140を超えて、もうさすがにワタシも追うのをあきらめました。

「○○先生、スピード出し過ぎやん」とワタシが言うと・・・生徒がにんまり。
だから、言ったでしょ? って言わんばかりの笑み(笑´∀`)

なるほどな・・・でした。
落ち合い先に到着して、DELICAに乗った生徒たち、顔面蒼白・・・( ̄。 ̄;)
なんでも160くらいまで出していたらしい・・・

はぁ・・・納得。
かなり現実味のあるジェットコースター体験だったようです。

普段温厚な、○○先生も、ハンドルを握ると性格が変わるみたいです。
う~~~ん(;´Д`)

続きは、辺見えみりさん結婚のお話・・・と晩ご飯です

↓ポチしてもらえると、ぐっすり眠れます・・・(‐‐).。oO
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部活の話 その一

みなさま、学生時代は(学生の方は現在)部活やってましたか?

ワタシは、中学校時代はやってましたけど、高校時代にはやってませんでした。
いわゆる、帰宅部ですね。
だらだら歩いて学校に行き、チャイムが鳴った瞬間にはもう学校におらず、家までワープしている・・・ってのはウソですが・・・
ホントもう、まっすぐ家に帰っていました。
最初は、運動部に入れば・・・とか親も言っていたんですが、帰ってきて勉強する子供だったので、そのうち言わなくなりました。

ホントはこういうヒトだってわかっていたので、運動部で根性を叩きのめして欲しかったのかも・・・
そうは問屋がおろさへんでぇ(笑´∀`)
とも、思っていました。

別になよなよしてたわけじゃないんですけどね。
(なよなよと言えば・・・ああもう、自爆ネタが頭から離れません。
書きたくて書きたくてうずうずしているんだけれど、自爆だし、一部の方に不快感を与えるかも、なので、今はやめておきます。

文章を練って、考え尽くしてから、書きますね。)

見た目も、行動も普通の子供だったと思うんですよね・・・たぶん。
それなりに、腕っ節も強かったり、だし。

なんで、こうなっちゃったんだか・・・^_^;

まあ、それはさておき・・・

大学に行っても部活やサークル活動は全然考えていませんでした。
ただもう、本が読みたいとは思っていましたけど。
本を読むのは個別の作業ですもの、誰かとつるむ必要はないわけで、だったらサークルに入る必要もないわけです。
しかも、本について語る・・・というのもなんかいやだったので、サークルはパス、と思っていました。
読む時間もなくなるし・・・

なんだけど、ある日、同じ専攻の学生から誘われたんですよね。
「アイスホッケーの同好会を作るんだけど、人数が足らないから、名前だけ貸してくんない?」

え”? ってなもんです。

だって、ワタシの大学、南の島の国立大学ですよ。
世が世なら、ハワイ州立大学(;゚ロ゚)
んなところで、「アイスホッケー」??
はっきり、アホか( ̄。 ̄;)・・・って思いました。

でも、なんか、くそまじめなんですよね。
そいつは、帯広出身のやつで・・・昔からアイスホッケーをやったことがあるらしくて、しかも、O県でも冬の国体に向けてアイスホッケーチームを作ろうとかいうことになっていたらしく、その尻馬に乗っかろうと、したみたいです。
ユニフォームとか、スティックとか練習用のインラインスケートとかが無料で貸与、ってことだったみたいで。
でも、それにはある程度の人数が揃わないと・・・

だから、運動に縁のないワタシに白羽の矢が立ったと。
フリーはフリーですから。
バイトもしていないわけではないけれど、毎日毎日シフトで入るようなバイトはしていないし、ということで。

どうも、人の生活状況なんかを調べてから声をかけたみたい。
アイスホッケーの試合なんて見たこともないし、ルールもわかんないし・・・第一スケート履いたこともない(;´Д`)
ホントぉ、よりによって、なんでワタシなんかに声かけるかなぁ・・・? って感じです。
運動嫌いなのに・・・

名前だけというので、貸してあげたんですが・・・結局練習にもつきあわさせられるはめに(>_<)
昼間の練習はいいんですが、ヒマだったら。でも夜もたまに練習が・・・それも、国体強化選手と合同で練習するやつが・・・
しかも、アイススケート場なぞなく、ローラースケート場が閉まる、22時から練習開始という・・・

ワタシ、いったん帰宅してから夜にまた出かけていく、というのが基本的に嫌いなんですが、それ以上に夜も十時にもなってから出かけていくというのどうにも納得できなくて。
情熱を持って練習しているならともかく、名前貸してくれ、で練習にも出てるわけですから、楽しいわけがない。
ローラースケートとは言え、転んでばかり。
早く滑れないし・・・ましてや、パックを満足に打つことも出来ない。b.gif

本当にいやで仕方なかったんです。

迎えに来る時間はわかってますから、その時に逃げてもよかったんですが、あんまり逃げてばかりいると、後日、あいつはなんだ!? って言われかねないので、たいていたぬき寝入りしてました。
量の部屋は基本的に鍵もないし、来客を拒むことが出来ないので、もうその日は、八時くらいから布団にくるまって寝てるふり。
十時前になるとだいぶできあがっていて、半分寝ています。
起こしに来るのですが、全く起きてこない、のを装います。
起きたくない、起きられない、のは半分は本当ですから、筋金入りの演技です。

待ち合わせの時間があるので、15分ほどしたら帰って行きます。
そうしてはじめて、ワタシは安心してぐっすり眠れるのです。
ああ・・・よかった・・・

いつもいつもそんな風にしてたわけじゃないですよ。
たまには練習も出たし、合宿にも行きました。

福岡で日がな一日、オーバルのリンクを滑ってましたよ。
おかげで、バックくらいは出来るようになりました。

相変わらず、パックは全然打てませんでしたけどねσ(^◇^;)
貴重な体験では、ありました。

↓元気が出たら、またスイーツ作ります。
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続きは、最近お気に入りのCMと晩ご飯の話。

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卒業式とお好み焼き・・・なんも関係ないな・・・

高校の卒業式はもう過ぎてしまいましたけど、三月と言えば卒業のシーズン。

今では学校だけじゃなくて、番組を卒業したり、あるグループを卒業したり・・・いろいろするみたいですが^_^;

ワタシは、卒業、何度も経験しました。

とりあえず、自分の学校のが4回。
♂も卒業したし・・・( ̄。 ̄;)


人のが、14回くらい・・・かな?
結局、周辺にいただけですけどね、ワタシは。
生徒と一緒に座ったことはなかったな・・・(>_<)


ある高校では、ワタシはいつも、体育館のキャットウォークのところに登って撮影をしていました。
ビデオと、スチルカメラ。
ビデオは現在の新しい機種とかじゃないから、電池が切れたり、テープが切れたりして、ずっと見ていないと困るような代物で・・・
生徒と一緒にずっと番をしていましたね。
生徒は、写真部の生徒です。
ワタシ、顧問だったので・・・

もう、転勤する年は部員もいなくて、ワタシともう1人の先生だけ。
寂しかったですね。
卒業する生徒・・・だったから仕方ないですけど。

まあ、もうその頃には実質♀だったから、バレなくてよかったかも・・・とも思いますが(;゚ロ゚)


先日、ブログに書いたので、どうしてもお好み焼きが食べたくて作ってみました。
お好み焼き

材料が少し変わってますので、書いておきますね。

薄力粉

キャベツキャベツお好み焼き←大量に入ってます

ネギ
長いも
豚肉

ここまでは普通ですが・・・

昆布ちりめん
カボチャの煮物の残り汁
ちくわ


関西ではないので、魚の粉とか売ってなくて、代わりに昆布ちりめんを入れてみました。
ちりめんじゃこに切り昆布を混ぜたもの・・・ふりかけにするものですね。

他に梅ちりめんとか、野沢菜ちりめんとかありましたけど、お好み焼きには昆布かな? って思って入れてみました。
なかなか、イケます。
でも、他の素材も興味深いので、今度パスタでもやってみます。
野沢菜ちりめん、オリーブオイルに合いそうですよ。

煮物の残り汁は、よくやります。
肉じゃがとか、他の煮物の汁が残っていてもお好み焼きに混ぜて使います。
出汁やら、風味やらがよくきいて美味しいです。

で、ワタシの定番と言えば、ちくわ、なんですよ。
必ず、とは言いませんが、こういうわざわざ材料をそろえるときには、必ず入れますね。
これ、うちの母がやっていたものなんです。

いわゆる、おふくろの味・・・かもしれません。
あまり、料理が上手な人では・・・なかったようなんですが。
ワタシが長じてから帰省すると、一度も手料理を食べた記憶がないんです。
ずっと、ワタシが作っていたんですね、なぜか・・・(;´Д`)お好み焼き断面


さてと、今日はこの辺で。

↓オラに元気を分けてくれ~じゃないけど、少し落ちてます
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続きは、また五行詩。
イタイ内容かもしれませんが・・・よかったらおつきあいください。

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第1122回「駄菓子屋さんの思い出」

こんにちは!トラックバックテーマ担当の吉久です! 今日のテーマは「駄菓子屋さんの思い出」です。ちょっと前までならあったのではないか「駄菓子屋さん」あなたの住む近くにはありますか?若い方なら、駄菓子屋さんに行ったことありますか?吉久は、地元には、商店街の中に駄菓子屋さんがありました。いつも小学校の帰りに寄り道しては、一口ゼリーを買って帰ったりしていました商店街内の駄菓子屋さんだったので、結構こぢんま...
FC2 トラックバックテーマ:「駄菓子屋さんの思い出」



駄菓子屋さんといえば、「ぷらっちっく」の瓶に入った、焼きイカとか、煎餅とか・・・なんだけれど、どっちかって言うと、かき氷、のイメージが強いです。
しかもモーターで回すやつじゃなくって、手でぐるぐるぐるぐる回すやつ。
子どものお金で買えるんだから、たぶん、すっごく安かったんだと思うし。

贅沢にもミルク金時とかが一番好きでした。
というよりも、今でも好きですけど、さすがになかなか買えなかったような気がする。
くじを引くのもあったけど、なんか印象に残ってないところを見ると、たいしたものが当たらなかったんだろうな、って気がする。
なんせ、大昔の話だから、自動販売機もあんまりなかった、と思う。
たぶん、駄菓子屋でラムネを飲んだ記憶があるのはそのせいなのかなぁ・・・

ラムネと言えば、あの中のビー玉取りたかった。
でも、普通瓶は返してしまうので、取れないんですよね。
実際なんてことはないビー玉だし。

ビー玉遊び、得意だったんですよ。
大きなビー玉は、苦手なくせに・・・一度だけ180ぐらい出たことがあるけれど、最低は30台だしなぁ
とはいえ、ゲームとしては好きなので、誰か誘ってくれればほいほい行っちゃうんですけど。
ミニスカ穿いてやったらかっくい~かもしらん。
こけたら、最悪だけれど( ̄。 ̄;)

まあ、関西なので、駄菓子もいいですけど、たこ焼き、お好み焼きも多かった。
どっちも、木の皮で出来た船に入っていて、その頃は青のりだけでマヨネーズもかつおぶしもかかってなかったような気がする。
あれって、どの辺の流行なんでしょうねぇ?

やっぱり、たこ焼きは中がとろとろじゃないと・・・ってすり込まれたのはその頃でしたね。

今は、ショッピングセンターの一角に駄菓子屋を見かけたりするけれど、ビジネスライクでちっともつまんないです。
売ってるものはアヤシげなものがいまだに多いけれど、売り方がアヤシげじゃないですもん。
あれは薄暗い店内で、テキトーに並んでなきゃいけない。
明るい店内、理路整然とした並び方、時には種別に分類されて並んでいる・・・と、あれじゃ、ダメなんですよ。
もっと、ごちゃごちゃ、いかにもがらくた、って感じじゃないとね。

戻れるなら、何も考えてなかったあの頃に戻りたいですね。
洟垂れガキのころ。
まだ、性のことなんて思いもしない、あの頃。
まっ、どうせ、そのあと悩むんでしょうけどねっσ(^◇^;)


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不思議な手紙

社会人になって、実家から独立し、一人暮らしをするようになったころ。

差出人不明の手紙をもらいました。
なんでも、実家の方に届いていたそうです。
もう、何十年も前のことなので、詳しい内容は忘れてしまったけれど、確か、毎朝乗る電車の中で、いつもアナタのことを見ています、というような内容だったと思います。

当時は、仕事を掛け持ち掛け持ちで、高校を2校、夜は塾と、そりゃもう大変でした。
今でこそ都会では一つのパスで、いろんな乗り物に乗れるようになりましたけど、当時はそんなのはなくて、定期が二つとか三つとか、それを考えただけでも、忙しそうです。

休みが日曜しかなくて、一日7コマくらい授業を持って、それで友人関係なぞ持てるわけがないので、その当時の友人、知り合いと言えば、山岳会の人くらい。
だから、友人が冷やかしでそんな手紙をよこしたとも思えないんですよ。

ましてや、実家の方に届いたそうですから、考えられるのは中学時代の同級生か、高校の同級生か、だと思うんですけど。
大学は遠く、海の彼方なので、あり得ない・・・職場関係なら逆に実家の住所を知るよしもない。

なにせ差出人不明なので、相手の性別すらわからない。
当時のワタシ、お世辞にも♂としてかっこいいとは思えないオタク青年。
高校時代も悪目立ちをして、校内でもわりかし有名だったとは思うんですけど、方向性がおかしいのでモテるわけもなく・・・

だから、もう、さっぱりわからなかったんですよ。
結局、最後の最後までわからずじまいで終わったんですけど、しばらく電車に乗るときは周りの視線を意識してまい、落ち着かない日々を過ごしました。
じっとワタシを見ている人も、ワタシを見て笑っているようなヒトもいなくて、ほんとうになんだったんだろう?
何とも腑に落ちない不思議な体験でした。

長い人生の中で、肉親以外から手紙をもらったのは、あのときと、教え子からもらった応援ともラブレターともつかない手紙だけ。
どちらもワタシを声援してくれているような、好きでいてくれてるような、そんな励ましの手紙のように受け取りました。
でも、過大な評価をされている気がして、くすぐったくもあり、不気味でもあり・・・

ひょっとしたら、神様からの贈り物、ということもあるのかもしれません。

2度だけとはいえ、贈られてばかりではつまらないですよね。
長年年賀状を書かなかったけれども、今年は少しだけ書いてみようかな・・・下手くそな字で。

それとも、かわいらしい便せんにしたためて書くか・・・

そうそう、もう♀なんだから・・・「拝啓・・・敬具」じゃなくていいんですよね?
「拝啓・・・かしこ」で(^_^.)

トラックバックテーマ 第1054回「遠足での思い出」

トラックバックテーマ 第1054回「遠足での思い出」



まさに「う~~~~ん」な思い出ばかり。

小学校・中学校・高校とすべて駅から見ると一直線上にあったせいか、遠足というと超ワンパターンの

「森林植物園」←森林なので緑にしてみました(^_^;)

何かというと、これでもかこれでもかと・・・「森林植物園」←変化がないので斜めにもしてみました、でもわかりにくいか(~_~;)

「森林」なので、素人目には「森」しかありません。
色んな植物もあったはずですが、そういう展示を見ることもなく、とりあえずは、行ったら帰るぞ、が常套。
なんかやった気もするけど、全然思い出せない・・・なんでやろ?

森林植物園←リンクをたぐってみました


なかなか、よい感じ。
というか、子どもだったワタシにはわかんなかったんでしょう。
それだけ、枯れたんでしょうね、ワタシ。

遠足と言えば、「バナナ」・・・ですか?
でも、バナナが高級品、というイメージが薄いので、おやつに入るのか入らないのか論議もあまりなかったような気がします。
港にたくさん貯蔵してあったわけで、昔からそんなに高くはなかったんですよ。

ワタシにとって遠足と言ったら水筒かな?
恐怖の「森林植物園」まで歩け、が遠足のミッションだったので、水筒はつきものなんです。
今は自販機も増えたと思いますが、当時道すがらにはほっとんどなかったんですから。

帰る頃には水筒の麦茶もつきて・・・のどからからでしたねぇ。

あ・・・そういえば、一度だけ明石城公園に遠足に行ったときに、生まれて初めてイナゴを食べたのを思い出しました。
やっぱりバッタ類、食べるもんじゃないですね。

バッタは見てるのがいいです。
って、キックホッパー&パンチホッパーかいっ!!!!( ̄。 ̄;)


第1046回「一人旅、したことありますか?」

FC2 トラックバックテーマ:「一人旅、したことありますか?」



そうですね、いつも一人でした。
長い旅行に行くのも一人、山に行くのも一人のことが多かったですね。

旅行をしながら、観光地巡り、というのが苦手なので、とりあえずは思いついたところをうろうろするのが好きなんです。
観光スポットに行くことより、物思いにふけるのが一人旅の楽しみ。
電車で、車窓を流れる景色を見ていることが大好きでした。
バスだと一番前に座って、流れる景色をつぶさに見るのが好き。
運転するのと違って、余計なことを考えなくてもいいから、ひたすら楽しかった。

今は、ちょっと旅行するにも車だから、一人よりも誰かがいた方が心強かったりしますけど・・・

でも、よく考えると、ワタシの人生、今のところ一人旅なんですよね。
コレも悪くはないけれど、ちょっと・・・いや、だいぶ寂しい。
出来るだけ近いうちに、一人旅はおしまいにしたい・・・かな?

がんばろ・・・

一人旅で、いいことも悪いことも一番あったのが、最北での日々。
楽しかったり、嬉しかったり、きつかったり、つらかったり・・・
なんか、青春、だったかもしれない。

青春というには、オジサンだったかも、でも、最後の方はオバサンだったかも(^_^;)
健康診断で、どうやって胸を隠そうかな? と思い悩んでいたことを思い出します。

まあ、学校というところですから、学期ごとの行事とか、学期ごとの切れ目とかあるわけです。
そのたびに打ち上げ、なんてものがある。
教師って、ホント、そういうの好きです。

それでも、大きな宴会というと年三回くらい、新人を歓迎して、年を忘れて、転勤していく人を送り出して、とそんなもの。
最北ですから、校歌以外に、テーマソングなんてものがある。
日本最北端、宗谷岬があるんです。



これの楽譜を印刷して、みんなで大合唱するんです。
あまり聞く機会がなくても、年三回歌って、宗谷岬に行けば流れてるし、いやでもそのうち覚えます、わかりやすいメロディーだし。
YouTubeで見つけて、とても懐かしかったです。

あの頃が人生で一番密度が濃かったかもしれないな。

2万羽の白鳥、またいつか見てみたいな。

世間は狭い

いや、この間、オフ会に参加したんです。
まあ、会自体はこんなものかな、って思っていたので取り立てて言うことはないんですけど、びっくりしたのが、世間は狭いなーってこと。

関西在住のヒトと話をしていたら、どこ住みってことになって、最寄り駅が・・・北○○台!?

(゜∇゜ ;)エッ!? それって、ワタシの実家と一緒。

で、よくよく聞いたら、中学校も一緒。

ついでに、高校も聞いてみたら、高校も・・・(^。^;)

まあ、高校は中学校の隣なんですけど、(●-д-)、~зこんな偶然が。
あちらは10回生で、こちらは4回生。

つまり、ワタシが6年ほど先輩なんですね。
はぁ、よかった、かぶってなくて。

かぶってたら、ワタシの悪行が筒抜けじゃないですか( ̄ー+ ̄) フフ…。よかった、部活とかで伝説を残していなくて

でも~遠足の時、真っ先に帰ってくるのがワタシだって知られていないだろうか?
4月も10月も2月も・・・考えてみたら、遠足ばっか行ってるな、うちの母校。
まあ、すぐ後ろが山だし、歩いて六甲山にだって行けちゃうし、そりゃ手っ取り早いですよね。
マラソン大会なんかやったら行方不明者が出ることは確実だし。

マラソン大会なんて、生徒の1/4くらいですもん、走りたいって思ってるの。
1/4はまあ、仕方ないから完走しよ、だし、1/4は走りたくないから、とりあえずゴールまでは行こう、って感じだし、1/4は最初からリタイア前提、出来うるなら逃げたい、逃げるために必死で走るぞ、みたいな連中もいるわけで・・・(^。^;) 本末転倒だっちゅーの


昔は、それを追い立てる仕事やってたんですよね。
自分は最後の1/4のくせに・・・

でも、遠足は行きはだらだらなんですけど、帰りはクラスの枷もあんまりなくて、早く帰りたいヤツは帰っていいゾォなので、ワタシ、もう一人バカを伴っていっつも先頭で帰ってきました。

あまり早く帰りすぎて、本体が帰ってこないから結局帰途にはつけないのがいつもでしたけど、結構楽しい思い出です。

トラックバックテーマ 第1021回「ご先祖様にまつわる話」

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ウチのご先祖は、お庭番・・・ではなくて、台所番だったらしいのですね。
つまりは、レストランのフロアマネージャーって言ったところ。
武士なのに武士らしくない仕事だったわけで・・・

といっても、台所番、お殿様に食事をお出しするわけですから、おろそかにはできません。
お殿様に到達するまでには何段階もあったわけで、食事が出る頃にはすっかり冷めていたそうですが、まあ、仕方ないのかなぁ・・・

まあ、そんな感じなんですが、祖先のワタシたちには誰も飲食関係に進んだヒトはいないみたいです。
たまに飲食関係・・・と言ってもメーカーだし、あまり関係はないような・・・

まあ、そんなこんなで結構旧家ですので、母屋は威張ってます
行くと、ウチの親なぞは「へこへこへこ・・・」せざるを得ないわけで、まあ、子供にはそんなことはわからない。
でも、母屋の子たちはやっぱりなんか高圧的なんですよ。
ワタシらは一応都会育ちなので、「このイナカモンが・・・」とか思ってるし、ナニかと対立の構造を作りかねない、なので、ワタシらはおばあちゃんの家によく置かれてました。
おばあちゃんは母屋と対立(いわゆる嫁姑のドロドロの関係ってヤツですね)してたので、別居していたわけです。

さすがに旧家のヒトだけあって、頑固で堅苦しくて・・・子供らにとってはちょいと付き合うのにシンドイヒトだったので、おばあちゃんちはそんなに好きになれなくて、しんどい空間でした。


ちなみに、ウチの母屋は・・・ここの城下町です。

800px-Himeji_Castle_The_Keep_Towers.jpg

で、ついでにこれも・・・(^。^;)c0149368_10143418.jpg

親友

もともと友人関係は希薄な方なんですけど、特に親友と呼べるヒトが子供の頃はいなかったように思います。
いや・・・親友と思い込んでいたのが、単なる「お気に入り」だったのかも・・・と今になっては思います。

親友は定期的に変わっていました。
つまり・・・飽きる、というか、思い通りにならないからだんだん疎遠になってしまう、という感じ。
友達ですから、毎度ずるずるべったり、ってわけにはいかないわけで、でも、ワタシはずるずるべったりしたいんです。

ま・・・これ、友達じゃなくて、恋人ですね。
一応、♂同士なんで、いつもいつもじゃ避けられますよね。
で・・・疎遠になると・・・つまりは、失恋、なんでしょう。

なんでこんなふうに生まれてきたんだろう、と思い悩むずっと前の話です。

そういえば、いとこのお姉ちゃんより、お兄さんの方がずっと好きでした。
なぜかはわからなかったけれど・・・
そういうことなのかな?

まあ、今でもよくはわかりません。

今、好きなのは、たぶん、男性。
オンナのコから言い寄られたら、やめてよ~って逃げちゃうだろうな、きっと。

そんな年じゃないのかもしれないけど、今は白馬に乗った王子様を待っています。
ま、軽自動車に乗った普通のオニイサンでも・・・イイんだけどさっ(^_^)

学研のおばちゃん

学研の科学と学習がなくなって、学研のおばちゃんも絶滅しちゃったんですね。
ちょっと、悲しい。

ワタシは学研のおばちゃんの子供でした。

学研のおばちゃんの子供の特典としては・・・

1 科学と学習が真っ先に読める。
2 全学年の科学と学習が読める(モチロン、本を傷めないように・・・ですけど)。
3 科学の付録の余ったのがもらえる。


そんな感じ。
ワタシ、こういう科学な内容の本って好きでしたから、毎月楽しみでした。末は博士・・・って思っていたんですが、方向性がだいぶ変わってしまいました。

まあ、それはさておき・・・

本がやってくると、母はとたんに大忙しになります。
子供の手まで動員して、付録の挟みこみやらやるわけです。
弟たちはまだ小さいですから、これはワタシの仕事。
配って集金しなければならないので、ワタシが配るというわけにはいかないのですが、キャスター付きのショッピングバッグを引っ張るのもワタシの仕事。

モチロン、家でお勉強、って選択肢もあったわけですけど、なぜかワタシは母について行く方をいつも選んでました。
夏の暑い時期も、冬の寒い時期も。
都会といえども、標高が高いので、冬はかなり寒くて、その時に手がかじかんだら脇の下に挟めばいい、って思いついたくらいです。

ほめてもらえる、とか、お駄賃をもらえる、とか、言うんじゃないです。
でもね、子供でしょ?
なんかないと動かないんですよ。

配りに行くときは、かなり遅くなる(九時くらい)ので、遅いから、なんか食べて帰ろうか? 
って、ことになるんです。

ワタシの家は貧乏でしたから、外食なんて滅多にしません。
何もなければ三ヶ月に一度くらい。
だから、これは非常に貴重な時なんです。

パイナップルを挟んだ、ハンバーグとか、家では間違っても出てこない洋食などが食べられるのも、嬉しかったんですね。

人生を選択し直せるならば、小学校高学年に戻りたいですね。

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トラックバックテーマ 第1012回「今だから言える失敗談」

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ってか・・・ワタシのブログを読んでらっしゃる方はよくおわかりだと思いますが、コレばっかりです。

失敗するために生きている、と言っても過言ではありません。

それでもお酒で失敗したことは少ないんですが、ひとつだけ大失敗が・・・いや、大失態か・・・?

と言っても、何が起きたのかはまったく憶えてないんです。
とりあえず、紙コップに10杯まで飲んだのは憶えてます、あ、ビールじゃないですよ、「泡盛」なんです。
それも水で割らない、生のまま(^^;)

約180ml×10ってことだから、1800ml、つまり1.8リットル、一升ですよね。
大学に入ったばかりでお酒に慣れてないわけですから(お酒は二十歳になってから・・・ってなってないし(^^;)、当然無謀な飲み方です、よく救急車で運ばれなかったものです。

当然、翌朝は、吐瀉物の中で寝ていました。
クサイやら、キモチ悪いやら、頭痛いやら・・・
胃も痛かったんですけど、それでもお腹はすきます。
とりあえずは、硬くないものを・・・と思ってカップ麺を食べたんです。できるだけ、消化のいいものを・・・と。

でも、お腹に入れたものは、お腹に入れるよりも早い速度で戻って行きました。
受け付けない・・・っていうのは、こういう事を言うんですね。

ちなみに、コレは二日後の夜の話なんです。
ようやく食事が喉を通るようになったのは、四日後のこと。

あれ以来、酒宴の席での失敗はありません。
お酒を飲んでもいつも冷静なワタシがいます。

飲んでも飲まれるな・・・ということをしみじみ実感した失敗でした。

汚い話で、スイマセンm(_ _;)m


高校3年の時

ウチのクラスは男子17名、女子32名の大所帯。
(まあ、ちょっと気分的には女子33名だったんですけど・・・(^。^;)
国立文系クラス、私大文系クラスの連合軍って形でしたけど、要するにどこの範疇にも入ってこれない余り物の集団。
だから、やたらと人数が多かったんですね。

女子は一部の例外を除いて、私大を狙い組、男子はそれこそ、ごちゃごちゃで、体育会系、推薦組ってのも結構多くて、どーもワタシとはそりが合わない。

そのくせ、委員長ってのはやりたがらないわけで・・・で、結局ハメられたワタシ。
委員長やってました、人をまとめるのとか苦手なのに~
大体ソリが合わないんだから、全然聞いてくれなぁ~~い(──┬──__──┬──)

ウチの学校はセーラー服で、夏服は白のセーラー。セーラー服そうそう、こんなやつ
下着のラインは透けて見えちゃう、ってああいうタイプ。
男子は詰襟、当時クビが短い気がしていたワタシは、すごく苦手だった、でも行事の時ははめておかないと怒られるんですよ。

セーラー服に関しては、まあ、スケベ心ってのはあんまりなくて、ああいうのいいなぁ、ってずっと思ってました。

ハッキリ言うと・・・着たかったです(笑)(あっ、ワタシの名誉のために言いますけど、今は着たくないです、Qさまに出してくれるなら、着ますけど(^。^;))

一応委員長が♂なので、副委員長は女の子。
それも、とびきり美人、だったです。
誰もがうらやむような、とは彼女のこと、かもって思ってました。

当時は女の子に興味があるような気がしていたので、ワタシも憧れてました。
どーも憧れのベクトルが他の男子とは違ったみたいだってのは、ずーっとあとになってからわかりましたけど。

兎にも角にも、ツーショットってのは嬉しかったですね。
なんかあったわけじゃなかったけれどね。

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パンチ

ボクシングで、目のところにパンチを受けたら、目の周りが真っ黒に・・・なんてのをコントでやりますよね。
ワタシもホントにそうなるんだろうなぁ・・・って思っていたんですが。

あるとき、ある事件によって、真相がわかりました。

ワタシはその時、滝を登ろうとしていました。

その滝は水が少なくて、すっかり苔むしていました。

傾斜は緩いのですが、掴み所が少なくて、結構手強いなぁ、と思いながらも登りはじめました。

高さはそんなに高くなくて7mほどだったと思います。

半ばを過ぎ、あと少しでさらに緩くなって完登だねぇ、って思っていましたら、つい、足がスルっ・・・
あっ、と思ったら滑り出していました。
この場合一番怖いのはひっくり返って頭から落ちることなので、四つん這いで壁を這うような格好のまま滑って、なんとか、あと1mってところまで、たどり着いたのですが・・・

最後に最後に手も滑って、顔を額からゴツン
一瞬、星が目の周りを3周くらいしましたよ。
ま、その場は少しまゆの上が切れたくらいで、無事に帰りました。

で、翌日・・・

朝起きると、右目の周りはマックロケ。
見事にボクシングのコント、完成です(^^;)

あれって、直接眼を打っているわけではないので、眼には全然影響なくて、とにかく、周りだけが真っ黒なんです。
奇しくも、その日は夏休み中の数少ない出勤日。
小論文指導をする生徒も呼んであります、行かないわけにはいきません。

仕方が無いので、その日一日、ワタシ、サングラスで過ごしました。
ま、みなさん、目を見て納得していただきましたが・・・でも、きっと、修羅場を経験したか、ケンカでもしたかって思ったんだろうなぁ・・・

あ~あ、ワタシって口ばっかで実は平和な人間なんだけどなぁ・・・

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寂しい家・・・つづき

あくまで、まだ♂だった時の話ですからね、その辺心して読んでくださいね。

こんな家にも遊びに来る人が・・・って突然来たのでびっくりしたんですが・・・

それは、別れたはずのもとカノ(ほぉ~~ら、そこでひっくり返ってる人、あなたが聞きたがったんだからね、ちゃんと聞いてよね
まあ、車には見覚えがあったんだけどもね。

レレレ? 何で来るの~?
ワケも分からず、一方的にゴメンナサイしたやんか~?

まあ、追い返すのもねぇ・・・ってことで、家に上げ、話を聞いて・・・で、ヨリが戻ったというか、なんというか・・・
翌日から、毎日のように・・・じゃないな、毎日来るわけです。
どーも、ワタシに家の近所には近づいてほしくない様子。
親が大反対・・・ってことなんでしょう、きっと。

でもな~そんな大反対されるような、悪いことしてないんだけど・・・とか、思いつつ、日々暮らしていたわけです。
なんとなくの~擬似新婚生活・・・って割には、ご飯はワタシが作ってたような・・・(^。^;)

何日かは、帰らない日もありましたよ、特に休みの日の前日とか。
う~~~ん、うれしいけど、わずらわしいし、楽しいけど、大丈夫なのかなぁ・・・とにかく、フクザツな気持ちでした。

何日か、帰らない日が、断続的に続いてたある日・・・一本の電話。

それは、カノの友達から。
って・・・それ、ワタシんちの電話なんですけど・・・どこで聞いたっ? って感じ、感じワル~~
どうやら、親に泣きつかれたみたいで、ってな・・・だったら、直接電話かけてコイ、っての、コラ(#゚Д゚)凸

しばらく、じゃないな・・・とても長い間電話をしていました。
真っ青な顔で・・・

まっ、内容は顔を見れば聞かなくてもわかる、わけですよ。
今にも押しかけてきそうな、そうなれば、本当に修羅場。

ワタシは誰を守れるだろうか、自分すら守れないんじゃないか・・・不安のズンドコじゃない、どん底。
修羅場はいいよ、別に、その後、どうなるのか・・・いろんなことが、こんな密室みたいなところで・・・
誘拐だ、ヘチマだ・・・なんて言い出すんじゃないか?
言いかねない・・・あの人たちなら・・・

元カノは、ほとんど何も語らずに、身支度を整えて、帰っていきました。
その後は、二度とここにはやってきませんでした。
たった、数ヶ月の逢瀬でした。

寂しいような、悲しいような・・・別れとも言えないような、コレハなんだ??
ワタシはしばらく放心したまま、仕事を続けていたわけです。

それから・・・さらに数ヵ月後・・・あの忌々しい事件が起こるまでは・・・







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寂しい家

昔、先生をしていた頃のこと。

教員住宅を立て直すことになり、1年間他所に移ってもらえないかということで、住宅を世話してもらったんですが・・・

そこは、小学校のグラウンドの一角、校舎は撤去されてすでになく、住宅が二棟。
一軒は切妻屋根の管理職用住宅。
もう一軒は、二つ続きの平屋の住宅。

当時、平屋の方に住んでいる方がいて、これなら安心かなと思って住み始めると、ひと月もしないうちに引っ越してしまって。
ワタシ、だだっ広い庭付き一戸建てに住むことになってしまいました。

当然街灯などはなく、夜は煌々と電気をつけないとなんか不気味で、すごく嫌な感じ。
かなり自然に帰っているとは言え、人工物ですから・・・自然の静寂なら、大歓迎なんですけど。

とにかく、むっちゃ寂しいところでした。
でも、こういう所にもお客さんはやってきます。
ワタシが住んでいるので郵便屋さんとか、迷い込んだ車とか。

グラウンドでギュイーンってUターンして帰っていく車、誰も住んでないと思って、しばらく遊んで帰る車とかもいて、大迷惑。
ちょっとコワイので、文句も言えず。
とりあえずは、外に出て、住んでるぞ~ってアピール。

大抵の人は、( ̄ー ̄)ゞスマンスマンって感じで帰っていくのです。

事故に巻き込まれて、代車を借りていたときには車がグラウンドまで上げられなくて困りました。
傾斜が一部きついので、冬になって凍結すると4WDの車でないと上がらないんですよね。
代車にあまり無理させるわけにもいかないので、大変でした。

ここに住んで、いろんなことがありましたよ。

まだ頑張って、♂やってた頃の思い出とか。

結構ドラマティックな修羅場的な話もあるんですけど・・・聞きたい?(^^;)


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まぁったくぅ~

沖縄ってところは、出版物に関しては大変なところでした。

今はコンビニやアマゾンやら使えばきっと早く届くんでしょうが、その昔は3~4日遅れは当たり前、週刊誌などは1週間遅れますし、海が荒れると2週間でも3週間でも本が来ません。

生活必需品じゃないし、二の次、ってことなんでしょうけど、学生のワタシにとって本は生活必需品。
なんとしてでも、なんとか早く手に入れたい。
なんせ、食べるものを削ってでも「本」って思ってましたから、切実なんですよ、ホント。

毎日朝起きてすることは、学校に行くことではなくて、まず、本屋さんのチェック。
まあ、出たい講義、出なければならない講義の時は行くんですが、それ以外は、本屋さん直行。

お店が開くか開かないかの時間に行き、東販や日販から来た包みを外からチェック。
欲しい本があれば、顔見知りの店長さんに相談します。
決して無理矢理抜き出したりはしません。

相談したのち包みを解いてもらい、お目当ての本を買います。
それは、マンガ週刊誌だったり、単行本だったり、小説だったり、はたまた専門書だったりしましたが、毎日のように通ってくるので、そのうち勝手に取り置きしてくれるようになりました。

う~~ん、ワタシって、なんなんだろうねぇ・・・

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落ちる旅

実は、大学は1年留年しました。
なんでかって? それは採用試験に受からなかったから、です。
どだい、勉強なんかろくにやってないんだから、受かるわけがない(^。^;)

で、5年目に卒業したんですが、結局その年も受からず、就職浪人に。
と言って、遊ばせてもらえるはずもなく、バイトバイト三昧、でも、それじゃ、勉強なんかできないんですよね。
というわけで、講師の道へ、正式採用はなかなかないけど、臨時採用ならいくらでもあるんですよ、この世界。

で、講師やら助教諭やらを続けながら、毎年夏になると採用試験を受け続けていたんです。
地元が本命だから、○庫県やら、神○市やらを受けて、で、試験の日のずれている、四国・東海を狙う、という感じで試験を受けていきました。

そう、5年間の落ちる旅の始まりです。

まあ、実際、採用試験よりも、旅に重きをおいておりました
採用は、そのうちなんとかなるだろう・・・って思ってましたから。
まあ、受かるときは受かる、受からないときは受からない、人事を尽くして天命を待つ、って感じ←尽くしてないけどネ(^。^;)

まずは高松でうどんを喰うこと、金毘羅さんに登ること、次には徳島でウミガメを見ること、大歩危小歩危を見ること、室戸岬に行くこと、道後温泉に行って、坊ちゃんの世界にひたること・・・別に龍馬ファンじゃなかったので、龍馬の足跡はたどったりしませんでしたが(^。^;)今なら、行くだろうなぁ・・・「残響」でも聞きながら・・・

まあ、お金は拾うし、川では泳ぐし、人情には触れるし、それはそれは楽しくて・・・試験のことは旅行を終える頃にはすっかり忘れてましたねぇ。


まあ、そもそも、高校時代にも、落ちる旅の起点はあったんですよ。本命は落ちるわけにはいかなかったから、一発勝負の出たとこ勝負、背水の陣で臨んだわけですけど、その前に、まあ、行けるのなら行きたいなぁ・・・って感じで、推薦の話が・・・

筑波大学の推薦を受けないか? って。

で、必死こいて大学に送るための小論文を書きましたよ、で、見事に茨城に向かえたかと言うと・・・あえなく沈没。
う~~ぬか喜び。
せっかく公然と旅行に行けると思ったのになぁ・・・・゚゚<(;´з`)> ~♪


採用試験のたびの旅行はそのリベンジの意味合いがあったわけなんです。
だって、物見遊山の旅行に採用試験時期に行くと言ったら、怒られそうだったんだもの。

最後の、落ちる旅は、北海道旅行
メインは、大雪山縦走。
なんとか、旭岳からオプタテシケ山までは縦走できました(ホントは富良野岳まで縦走する予定でした)。
テント担いで、熊が出そうなところをウロウロ、カウベル鳴らして、鼻唄歌って(もちろん、クマ対策です)、すっごい天気のいい中を縦走、ホント、トムラウシはこの世のものとは思えないほどの美しさでした。

え・・・? 試験はどうなったの・・・だって?

え~~残念ながら受かってしまいました。

というわけで、ここからワタシの転落人生が始まるわけです。

将来設計

ブロとものJUNさんの常夏絵日記からお題頂きました。

中学生の時に進路を決めちゃったんですが・・・あとから考えると、<(ToT)> シマッタァ! って感じです。

おかげで冒険ができなくなっちゃいました。
高校進学もとりあえず、普通高校で確実に、間違いなく、通るところ。
私学はお金が無いのでパス。

出来たら、通学費もかかんないところがいい・・・というわけで、当時建設中の中学の隣の高校へ
小学校・中学校・高校と通学路が同じで、半分寝ながら通学した朝は、うっかり、小学校へのスロープを登ってしまったり、中学校の階段を登ったりと、赤面体験連発でした。


先生を目指す以上、大学に行くことが必須です、単純に免許、もらえませんから。
上記の理由で、私学は行かせてもらえる可能性はものスゴク薄い。
なので、最低でも公立、出来たら国立・・・っても地元なんか通りゃしません。
当時、神大教育学部は偏差値的に、常にベスト5ですから、無理に決まってる。

で、どんどん範囲を広げていったわけですが、ここで、問題が・・・

なにより、確実に絶対に間違いなく、浪人ができない。

じゃあ、通るところを探したほうが早いや、ってことで、極地の大学(スイマセンm(;_;)m)二つが候補に上がったわけですね。

H道教育大学とR球大学・・・って伏字にしても意味ないような・・・(^。^;)

どちらも、偏差値は似たようなもの、共通試験の点数のボーダーも同じようなもの、じゃあ、どーするか?

施設か? 環境か? それとも教授陣か?

(@_@)/ずばり! 光熱費で決まりました。

まあ、夏の冷房は学生の身分じゃぜいたくである、でも、H道だと暖房がなければ凍死である、でも、沖縄なら、とりあえずは暖房はいらないだろう・・・カンペキな計画のはずでした。

最終的にH道で就職するんなら、最初から行っときゃよかったわけで・・・父さん・・・
ワタシの浅はか見附六本木さの伺える、エピソードかと・・・

結局、深く考えてるようで、なんも考えてないのは今も一緒ですけどね。

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学生時代、どこに座りました?

ワタシ、中学生までは大人しくて目立たない子供でした。
でも、高校に入ると豹変。
一転、とても目立つ生徒になってしまった様子。

不良とか、そんなんじゃないですよ。
職員室に入りびたり、進路指導室に入りびたり、生徒会室に生徒会でもないのに入りびたり、でした。
そのくせ、放課後になると、チャイムが鳴るかならないかで学校を飛び出すため、放課後絶対に捕まらない生徒として有名に・・・

それもそのはず、一度自分でもアホやなぁ、と思ったのが、上履きのまま、無意識に下校始めちゃってたこと。
もう、半分以上帰っていたので、そのまま帰りました(^。^;)

そう、ワタシ、目的のために過程をすっとばす癖があるんです<o( ̄^ ̄)o> エッヘン!!←いばるなっ(-_-;)

それはさておき、ワタシの座る席は高校時代はもっぱら一番前、しかも教卓の前でした。
後ろの方の席では、コソコソ隠れていろんなことやってたみたいですけど、そんなのには目もくれず、一心不乱に机に・・・向かってるわけないじゃないですかぁ(^^;)

一番前の席で、ずっと後ろの友達とぺちゃくちゃぺちゃくちゃ、授業中ですよ、許されざる者ですよ、でももう止まりません。
当然、怒られます、できないだろうと思って質問されます、でも~~~答えちゃうんですよね。

だって、予習バッチリなんだもん。

基本的に勉強は予習ばっかりで、復習をしない、というのがスタイルでしたから(予習しているうちに回りまわって、また同じことに辿りつくだろう、と思っていました)、予習はカンペキなんです、教科書程度の問題なら答えられないわけがない。

というわけで先生にやんわりと怒られます。

「なぁ・・・○○。勉強しとんのはわかるけど、たまには前向いたらドナイや?」


月日は経ち・・・

教卓のすぐ目の前には、教科書・体操着・マンガ等の山が・・・その山の中に頭を突っ込んでグースカ寝てる生徒。

因果応報とはこのコトか・・・

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