まったく、覚えていません。
そもそもおつかいしたことあるのかさえ疑問です。
でも、一人でふらふら出歩くのはワタシのサガだったようで、よくどこかに出かけては、オトナの人に送り返されるということを繰り返していたみたいです。
ある意味、勝手な自主的「はじめてのおつかい」みたいな感じですね。
田舎のおじいちゃんちに行っては、塩田まで出張です。
当時の瀬戸内海にはまだたくさん塩田があったので、何が面白かったのか、ふらふらふらふら歩いて行っていたみたいです。
距離にして、おそらくは3~4kmもあったんじゃないでしょうか?
小学校に上がる前の子供にしては異常な健脚ぶりです(;^ω^)
塩田の脇の畦を歩き、塩炊き小屋に入っては、塩が炊き上がるのをじっと見つめていたそうです。
変なガキ・・・オトナはきっとそう思ったことでしょうね。
ワタシ自身、そう思いますもん。
家にいる時も、結構ふらふら出歩いてたようで・・・
近所のちっちゃいショッピングモールみたいなところに出かけては、エスカレーターで遊んでいたり。
神戸が坂の多いところだっていうのはみなさんご存知かもしれませんが、その本当に小さなファッションモールも、坂の傾斜の上に建てられていて、ずーっとビルが続いているんですが、細長いそのモールの中にはいくつもエスカレーターがあって、そこで、ワタシたちは日がな一日、エスカレーターを逆走して遊んでいたんですよねぇ・・・
そこから、東に向かうと、ちょうど福原の歓楽街で、オトナはそれなりにやばかったりやばくなかったりするところだっていうのは知っていたと思いますが、小さい子供のこと、そんなことはわかりません。
それからずっと行くと、湊川神社。通称楠公さんと呼ばれる、楠木正成公を祭った神社です。
一説によると、江戸時代、大日本史を編纂するため取材に訪れた方が、正成公の栄誉を讃えて建てられた神社だとか。
大日本史は、あの黄門様が始めた事業で、この時取材に訪れたのが、かの佐々助三郎だったと言われています。つまりは、助さんですね。
ま、それからさらに東に行くと、神戸駅。さらに元町通を東に向かうと、元町一丁目、神戸大丸前です。
幼いワタシ、おつかいを頼まれたわけでもないのに、どうも一人でその大丸に向かっちゃったようなのです。
なにせ何十年も前の話だし、ほんの小さな子供だったので細かいシチュエーションはまったく覚えてないんですが、どうやらたどり着き、帰りは近所に住んで大丸に勤めていたオネエさんに送り返されてきたみたいです。
え~~と、距離にして5kmくらいあるにもかかわらずですよ。
子供の小さい歩幅でどこまで行くんだか・・・
どうも、家に母がいなくてどこに行ったんだろうと思って、前に連れていってもらった大丸に行ったらいるかもしれないって思って、行っちゃったみたいなんです。
たぶん、わんわん泣きながら・・・
何かにとらわれると周りが見えなくなる、これって幼い頃からのワタシの気質だったみたいですね。
三つ子の魂百までとは、よく言ったもんです(-_-;)
