トラックバックテーマ 第1358回「アイススケートは好きですか?」
はっきり言っちゃうと、嫌いです。
厳密に言うと、見るのは好きです。
でも、滑るのは嫌い。
学生時代まんまとハメられて、練習に行かなきゃいけなくなった苦い思い出があるのです。
我が大学は、フランチェーン、「いいよ!」で有名な某海外にある国立大学法人ですが、琉球人が四割、他府県人が六割という、人種の坩堝でした。
北は
北海道から、南は鹿児島まで・・・って、一応沖縄にあるので、沖縄は含めません。
ま、西表や石垣、宮古島からも集まってくるので、日本列島全部が含まれているといっても過言ではありません。
こうなると、稚内から送り込めなかったのが残念に思えますが、商業と工業の高校だったので、まあ、ムリですね。
わざわざそんなところに行きたがるとも思えないし(;^ω^)
そんなところで
スケートが出来るのかというと、今はわかりません。
沖縄の人に聞かないとムリです。
でも、とにかく、当時はアイス
スケート場は閉鎖されたばかりで、ローラー
スケートならあるにはあるものの、アイス
スケート場はなく、当然、全く縁はないはずだったんです。
ダイビングやサーフィンならともかくも、って感じ。
ちなみに言うと、山もないので山岳部なんてものも存在しなかったと思います。
でも、物好きと言うか、野心家と言うか、そういう人ってどこにでもいるんですね。
何を考えたか、沖縄にアイスホッケーチームを作って、国体に参加しようと。
そげなもん、作っても
北海道のチームとかに勝てるわけないべ、やめとけやめとけ、なんて言う人はたぶんあまりいなかったんでしょう、そればかりか、内心野心をやたらと秘めている、同級生に声をかけたようです。
そいつは、あっと驚くタメゴロー、で、十勝の農家の五男だったんですが、学生時代から、すごく計算高いと言うか、上昇志向の強い人間で、上ばっかり見て歩いているようなやつで、でも、気安いと言うか馴れ馴れしいというか、親しみやすさを演出するような人間だったので(ホントのところ、今ではすごく嫌いです)、表面上は誰とでも仲良くしていました。
人当たりがいいので、深い付き合いをしていない人には嫌われないし、当然女性にもモテます。
取っ替え引っ替えとまではいきませんが、割りと可愛い子をゲットしていたりして、そういうのに全く縁がないワタシとは対極的な感じでした。
ま、ワタシは、こういう志向の人なので、そんなに気にしてはいませんでしたが・・・
ワタシも最初人当たりがいい人間性に騙されていました。
はじめ、練習も出てこなくていいから名前だけ貸してくれ、部員が足りないから創設できない、とのことで、名前だけ貸しました。
もともとワタシ、運動が得意なわけでも、感覚がスルドイわけでもなく、むしろ左右の視力のバランスが悪いので、球技とかには向いておらず、そこに置いてあるだけのボールを空振りするような人間なんです。
立体感が・・・どうも。
そんななので、団体競技に参加する機会も少なく、かと言って走るのも苦手なので、実のところ運動がある程度できるようになったのは、社会人になって山に登るようになってからなんです。
山登りもチームワークは必要ですけど、フォローに徹したり、変幻自在に振舞ったりする必要はなくて、やるべきことを淡々とこなしていけば、目的は達成できるわけですから、たとえ団体で行動しても、単独で行動するときと同じように自分の役割だけをしておけばいいわけです。
でも、球技ともなるとそういうことばかりでは成り立ちません。
最初、名前だけ、の約束はすぐに反故にされ、練習に出てくるように、まずは慣れることからだ、なんて言われて、同クラスのよしみもあって、練習には行きました。
国体の強化選手を育てるという名目で、当時は珍しかったローラーブレードが貸与されていて、それを履いてテニスのハードコートを借りて練習したりしていたんですが、もちろん、素人がそんなもの履いて滑れるわけもなく・・・
もう、立つのがやっとというような状態で、パックを打つことなんてさっぱりできません。
大体、テニスコートですから、ちょっと滑ったらすぐ外に出てしまうし、所詮ムリなんです。
まあ、それでも専門家がいるわけではなし、その男も中学・高校時代に草アイスホッケーをかじったくらいな程度だったので(それでも、やはり十勝ネイティブですから
スケートは難なく滑れますが)、あまりうるさいことも言われず、和気あいあいとやっていたわけです。
ま、これなら、練習で時間を取られるのは嫌だけど、まあ仕方ないか・・・帰りは送ってもらえるし・・・
はっきり言って、甘かった。
その内に、全員国体の強化選手に指定され(滑れないのに^^;)、県全体の練習に出てこい、ということになり・・・
昼間ならいいですよ、昼間なら。
どうせ学生です、色々することはあるとは言え、ひまといえばひまです。
学校が終わって、夕食を摂るまでの時間なら、ぜんぜん問題ない。
なんだけど・・・
練習は、夜10時からでした。
民間のローラースケート場を借りて練習するわけですが、その営業が終わった後に借りて、ということなのでそういう時間になるわけです。
もともと、沖縄県代表のこころざしなどないワタシ、そんな夜になってから出ていきたいわけがない。
二時間も練習すれば、もう12時、ちょっとのんびりすれば、もう1時・・・そんなもの誰が出ていきたいものですか・・・(-_-;)
しかも滑れないワタシ、練習といえば滑る練習ばかりで、そりゃ、それが出来なければ試合には全く出ることもできないわけで、仕方ないのはわかるんですが、もともとやりたくなんかないわけです。
気合は入らないわ、しんどいから嫌だわ、おまけに帰る頃には眠い・・・帰ったらシャワーは水しか出ないし。
出ればいいけれど、ちょうどその時、長期間の断水が続いていて、隔日8時間給水、なんてのが行われていたと思うんです。
二日で、8時間しか水が出ない・・・40時間は水が使えないんです。
寮にはタンクがありましたが、その出ない40時間、水がずっと使えるほどは貯められません。
当然夜中のシャワーなどはお湯が出ないばかりではなくて、水も出ない・・・
いやだぁ~~~!! こんな生活!!!
ワタシには足がありませんでしたから、そんな夜中に首里から那覇の街に出ていくことはできないわけなので、車で迎えが来るんです。
迎えの連中は寮の部屋にまで押しかけてくる・・・
最初、逃げてました。
その時間に、ちょうどその時間に。
寮内にいると、あいつはどこに行った? と捜索されるのがオチなので、寮外に出るようにしていたんですが、そもそも夜の10時に行くところがあるわけもなく・・・
それに、逃走するとあとで授業などで顔を合わせたときに、吊るし上げとまではいきませんが、非難をされるんです。
ワタシ的には非難されるおぼえなどないんですが、周りにもそれに入っている人間が多いので、どうしても多勢に無勢という感じになるわけで・・・
個室なら居留守も使えたのでしょうが、寮の部屋はあいにく四人部屋で、勝手にドアを閉ざすわけにもいきません。
もう、仕方ないので、ワタシは狸寝入りを決め込むことにしました。
出来れば、演技ではなく、本当に寝てしまうのが好ましいと、練習の日はもう、夕飯を食べたらすぐにベッドに潜りこむようにしました。
で、起こされれば目を覚ます気があれば当然すぐに飛び起きるわけですが、そんな気はさらさらないので揺すられようが何されようが、もうひたすら布団にかじりついて寝ている・・・という寸法で。
まあ、あまりやると、やっぱり非難をされるので、三回に一回くらいは練習に行きましたが・・・
三年まではひたすらそれで耐えぬきました。
四年になると、個室になったし、もう名目上引退ということになって、後輩に道具も譲って、ようやく静かな夜が訪れるようになったのです。
良かったことといえば、福岡に合宿に行ったくらいかな?
でも、結局合宿所と宿泊施設の往復で、外でとんこつラーメンを食べたくらいなもので、遊んだり、観光したりは全くなく・・・
ひたすら毎日氷の上で滑っていました、今度はアイススケートの靴を履いて。
ただもう、滑って上達するのはちょっと楽しかったです、バックも出来るようにまではなったし。
アイスホッケーは今でもルールがよくわかりません。
興味もありません。
ただスケートを滑るだけならいいけど、なんで、あんな硬くて怖いものを打ち合って競技しなければならないのか・・・真剣に競技に取り組んでいる人には悪いですが、まったく良さがわかりません。
ワタシはそれ以来、スケートを滑ったことがありませんから、今ではきっと滑れないでしょう。
スキーもゲレンデスキーは嫌いだけれど、アイスホッケーはもっと嫌いです。
スケートはそういう思い出があるので、やっぱりダメです。
