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父と母

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何でも聞いた話だと、駆け落ち同然だったとか。
母は、高等女学校まで通った人だったから、お勉強はできたらしい。
父は、尋常小学校までで戦争に行ってしまったから、学歴はないのだけれど、勉強家だったみたいで、家にはなんだか知らないけどたくさん本があった。

その本は、マルクス・エンゲルスとか、ワタシにはよく分かんないんだけれど、なんだか難しそうな本で、一応おとなになってからそういう経済学の勉強もかじってみたけれど、結局よくわからなかった。
どうにも、そのあたりの勉強をして集まる会とかがあったのだけれど、カルトな感じがしてあまり近寄らなかったのだ。

なので、ワタシはいまだに共産主義ってなんだろう? って感じである。
話を聞くといいことばかりのようなのだが、所詮人間のやること、みんながみんなのために動くのなら理想社会ができるのかもしれないけれど、人ってものは私利私欲の塊なんだから、最初から無理ってもんだろう、って思う。

父と母はとっても歳が離れていて、ワタシが生まれた時には、父はもう36だった。
どうやって知り合ったの? という質問には一切答えてくれなかったから、想像するしかないのだが、多分誰かが引きあわせたのだろう。

父の仕事はいわば当時花形の映画界の業界人だったから、きっと華やかに見えたのかもしれない。
実態は、使いっ走り、不毛な営業、そんなものだったにもかかわらず。

母は父のどんなところに惹かれたのか、それも聞きたいことではあったけど、ワタシがそんな意識が芽生える頃にはすっかり二人の関係は空気のようになっていた。
母は、父のことを子供のワタシに愚痴り、と言って、二人の間でなじりあいなどはなく、とても変な関係に子供心には見えた。

なんで、一緒にいるんだろう・・・?
ほとんど、感情みたいなものはその間にはなくて、怒りもしなければ文句も言わない。
父も母も怒るのは、ワタシたち姉弟に対してだけであって、二人の間で、子供に聞かれてはいけないような会話があったことは、物心ついてからは一度もなかったように記憶している。

父は身体を悪くして、家に引きこもりがちだったから、ワタシたちが学校に行っている間にそういう会話があったのかもしれないけれど、それによって何かが変わることもなかったから、多分やっぱりそういう会話はほとんどなかったんだと思う。

高校に入学するとき、父と母について書きなさい、という課題が与えられた。
原稿用紙五枚くらいという短い文章だったのだけれど、当時のワタシは作文が大嫌いで、主観的には長いと思われる五枚を書きあぐねていた。

父は、自治会報を作ったりという仕事をボランティアでやっていたので、文章を書くのは得意だったようだ。
書きあぐねているワタシに対して、助け舟として、父と母の馴れ初めの話をしてくれ、軽く下書きのようなものを手渡してくれた。
ワタシはその下書きを基にして、なんとか作文を書き上げたのだけれど、その時父と母が駆け落ち同然だったということを知ったのだった。

それはとても不思議な感じがした。
駆け落ちといえば、情熱の塊どうしがやることじゃないの?
好きで好きでたまらなくて、でも周りが許さないから二人で遠くに行って・・・そういうものじゃなかったの?

今の空気みたいな関係の二人が、かつてはそんな関係だったことにとても違和感を覚えた。
でも、駆け落ちでなければ、二人が一緒になることもなかっただろうことも、なんとなく理解できた。

父は、いわば地元の名士の子供だったし、母は、親が苦労して女学校にまで進学させた子供だったのだから、おそらくは、双方が大反対だったのだと思う。
田舎の名士なんて、名前ばっかり気にするものだから、得体のしれない庶民の娘を嫁にもらうなどというのは耐えられなかっただろうし、母方にしてみても、名前だけ立派で浮き草的な仕事につき、しかも実家の方の援助も受けられないような父はやっぱり、結婚の対象にはならなかったのだろう。

馴れ初めの話は、詳しくは書いてなかったし、その後の話も書いていなかった。
おそらくは子供に聞かせたいような話ではなかったからだろう。
そこには、苦労がずんと重く積み重なっていたのだろう。
今となっては、想像するしかない。

母が亡くなって、大量の写真が出てきたが、いくつかは父と一緒の写真もあった。
笑顔の写真はなかったけれども、穏やかな表情の母がそこにはいた。
たぶんきっと、幸せだったんだろうな、とワタシは思った。
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え~~と、半分くらいフィクションです。
ワタシは当時、男の子でしたしね。
ま、メンタル的にはすでにジョシだったので、問題はないと思いますが。

細かいシチュエーションを書いていくと、連載になってしまうので、それちょっとしんどいなと思って、端折って書きました。
高校時代のことです、実際よくは覚えていないし、それを一字一句思い出して書くことは不可能なので、どうしても想像力を働かせて書くことになります。
つまりは、事実ではなくて、フィクションの部分がなおいっそう多くなって、そうなるともう小説ですよね、これって。

母の持っていた写真には、知らない顔がたくさんありました。
母の知り合いとは思えないので、おそらくは父と交流のあった方々だと思いますが、母方の親戚の姿は見えず(子供の頃から母の実家にはよく行っていたので、そっちはよく分かるんです)、ちらほら見えるのが、何人かの叔父さんたち。
父は次男なので、弟にあたる人々ですね。
父の兄はさっぱり登場しないところを見ると、やっぱりなぁ・・・って感じでした。
つまりは、そういう関係なんです。

あ~~~それにしても、高校時代に原稿用紙たった五枚を埋めるのに苦労していたとは我ながら思えませんね。
この文章、エディタの字数を40字に設定して書いているんですが、すでに100行超えています。
一番最初にタイトルを書いたので、その分を差し引いても、今で100行です。
つまりは、40×100ですから、四百字詰め原稿用紙10枚分ですね。
書き始めから、一時間ほどで書いていますので、実際手が早くなったもんだ、って思います。
まだまだ、修行は足りませんけどね。
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コメント

tookoさま まんがいんく : 2012/02/16 (木) 22:17:55 修正

きっと、みんなが純愛を抱えているのだと思います。
対象がどこに向かうのか、どこまで抱えたまま生きていけるのか、それは神のみぞ知る、なのかもしれませんね。

kaminomoribitoさま まんがいんく : 2012/02/16 (木) 22:16:14 修正

本当の気持もちゃんと含まれていたと思いますよ。

それが読み取れなかったのは、まだワタシが未熟だったからですね。

紅葉さま まんがいんく : 2012/02/16 (木) 22:15:15 修正

母も父がなくなったあと少し歪んでしまったようです。
大ボケ者では昔からあったけど、変に執着するようになっていたようで・・・

あんな関係でもなくてはならない関係だったのだと、今となっては思います。

ダメ子さま まんがいんく : 2012/02/16 (木) 22:13:04 修正

うんまあ、想像はつくんですけどね。
ワタシもなぜかどっちものドロドロしたものを経験しましたしね。

空気一歩手前、で何とか止まりたいと思うのですがね。

椿山さま まんがいんく : 2012/02/16 (木) 22:11:33 修正

子供は母親にとって、唯一の味方、みたいな見方をしますからね。

ワタシはもう、小さい頃から母の愚痴ばかり聞いて育ちました。
父と同じ癇癪持ちなワタシがよく耐えたものだと、自分を褒めたくなりますよ(^▽^*)

弘美さま まんがいんく : 2012/02/16 (木) 22:09:11 修正

自衛官は自衛官同士結婚することが割と多いらしいです。

基本的に出会いがないそうで。

まあ、教員は教員同士結婚することが多いので、それと同じような現象だと思います。
生徒と結婚する教員もいるにはいるんですが・・・

商品に手を出すなは、合言葉みたいなもんだったんですけどね(*^m^)

hinataさま まんがいんく : 2012/02/16 (木) 22:07:06 修正

ワタシの母も鼻筋の通った美人さんでしたよ。
たぶん、モテたんじゃないかな?

いきさつはわかんないですけど、なんで父なんだろう? とはワタシも思いました。

まあ、変わり者一家でしたから、ワタシんちは。

やはり 似ていました。 K-tooko : 2012/02/16 (木) 22:05:54 修正

私の両親に。
駆け落ちしたくせに 一緒にいたのは
私が3歳まででしたけど、
純愛って呼べるものが たしかに存在していたそうです。

こんにちはです。 kaminomoribito : 2012/02/16 (木) 21:10:07 修正

お父さんから手渡された下書きの中身が、
心の奥底にあるお父さんの気持ちだったらなぁ・・。

まんがいんくさん こんばんは~ 紅葉 : 2012/02/16 (木) 20:24:41 修正

御両親のお話すてきなお話だと思いました。

わたしの母は父のお母さん(おばあちゃん)に見染められて
嫁に来たようです。
それでも嫁姑の確執はあったようですが
父がおばあちゃんをたしなめて上手くいくようになったとか。

私が生まれたときはおばあちゃんはこの世にはいませんでしたが・・・

 ダメ子 : 2012/02/16 (木) 10:59:03 修正

私は両親の馴れ初めはちょっと怖くて聞けないです
愛し合ってた頃ってのが想像できない…

 椿山漸 : 2012/02/16 (木) 09:41:48 修正

母親が父の愚痴を子供に聞かせ、というのはどこにでもある話なのですね。

聞かされ続けることに嫌気がさして、僕は家を出てしまいましたが。

いつまでもアツアツで・・・という訳にはいかないのでしょうが、子供心にはとても寂しく感じたのを覚えています。

 hinata : 2012/02/16 (木) 09:14:30 修正

うちの両親は、いわゆる「ダンパ」で知り合ったようです。
父は、当時の男としては背が高く、ダンスがうまかったらしい。
母は高等女学校の頃、毎日登下校時に付け文を貰っていた…そんな美人さんで。
ふたりはダンスホールで恋に落ちて…その数十年後に家庭内別居状態になりました。

母も父も…
お互いの目の中に、互いへの愛情を感じ、確認できていた時間が
果たしてどのくらいあったのかしら…あらためて思う、今日この頃です。。。

 弘美 : 2012/02/16 (木) 03:39:31 修正

うちの両親は反対に右翼です。
興味半分でマルクスの資本論を図書館から借りて読んでたら怒られました。
おじいちゃんが旧帝国海軍軍人で戦艦陸奥の乗組員。
伯父さん夫婦は自衛官同士で結婚。
その一人娘のいとこのお姉ちゃんまで自衛官。
食べさせられるお菓子まで、かつての盟友ドイツのバームクーヘン。

そんな環境で育ってしまいました。
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